'23/2/12発行「賢者オスッテBLアンソロ」に寄稿します

【ミロビス】キスの行方

novelミロビス

①キスの練習
②キスの燃え殻 の続き

 昨日の復習をしようか、と静かに促す声に誘われて、待っている相棒の顔に自ら顔を近づける。自らキスを相手にするという行為は、何故だかわからないがとても緊張した。与えられるキスと与えるキスは全然違うということを、たった二日で理解してしまったビスコは、昨晩に似た触れるだけのキスを口の端へと落とす。その口角が、フッと持ち上がったのをビスコは唇越しに読み取ってしまった。
「僕が教えたのは、そんな貧相なキスだったかなぁ」
 挑発的に煽るミロの声が楽しそうで、悔しくも否定できないビスコは小さく「うるせぇ」と悪態づいた。そんなの、違うということくらいわかってる。わかってはいるが、己が胸を打つ鼓動の速さに驚いて、変な理由をつけては先に進めないでいる。
 ミロとキスをしたい。昨日みたいな、思考まで溶け出てしまいそうなあのキスをもう一度。
「口を開けて、そう、薄くでいいから。舌を入れることは、今は考えなくていい」
 横へと真一文字に引かれた唇をふわりと開けて、歯列の隙間からすぅと小さく息を吸う。ミロの頭が小さく傾げ、半分閉じた瞳がこちらの口元を凝視しているのが見て取れた。そうか、斜めにすればいいのかと鼓動で沸く頭の片隅で理解して、花の蜜へと誘われる虫のように、そっとその花弁へ、さも自然の行いかの如く薄く触れた。
 触れるだけのキスを受け入れたまま、ミロは頑なに動かなかった。昨日の、流れるように交わり、爛れてしまいそうなキスには遠く及ばず、本当に、ただただ触れているだけ。きっとミロは待っている。復習をしようと言ったその言葉通りの応酬は、頑固なのか、意地が悪いのか、はたまた我慢強いのか。
 そうして二人とも動かずしばらく固まったままでいると、薄く開けていた口元から唾液が滲み、乾いた粘膜をじわりと濡らした。ああ、この感覚は知っている、と身体が自然に滑りを利用して、触れた粘膜を柔く食むようにそっと唇を動かすと、ぬるり、といかにもいやらしい感覚を纏って、己の唇が深く交わりを求め始めた。
 くち、くち、と自分が生み出す音を風が攫っていく。今日は洞穴の中ではなく、開け放たれた寒空の下。聴覚的な刺激がない分、どこか許された気分になって重ねた唇を交互に捻り、とめどなく溢れる唾液をコクンと飲みこんだ。
 舌を入れることは考えなくて良いと言った最初の言葉を思い出す。昨日自分の中に差し込まれた舌先が絡め取られたあの時の、なんとも言えない感触が不意に呼び起こされた。今日という一日、あの感触が脳裏に焼き付いて離れなかった。

 あれが欲しい。あの感触をもう一度、味わってみたい。

 キスをしたまま、ほんの少しだけ顔を出した舌先をミロの下唇に這わせてる。入りたい、舌を絡ませたいという意思表示は、しかし簡単に無視された。ちろちろと、隙間に入らせて欲しいとお伺いを立てても一向に口を開こうとしないミロに、「教えろって言っただろ」とキレ気味で、しかしあまりにも小さく独り言のような訴えに、ミロはなだめるように頭を撫でてくる。
「上手だったよ?」
 穏やかに話す声は満足げで、いつもは気にすることも無い舌が口の隙間からチラチラ見えるのがいやらしく見えた。
「今のは……じゃねーだろ……」
「ん?」
 どうしたの、とでも言いたげに距離を詰めてくるミロが、とんっ、と軽く肩を押す。あぐらをかいてバランスを崩した身体はしかし、すぐ後ろにあった樹木に受け止められた。入れて、と膝を割るようにして股の間に入り込んできた身体がずいと距離を詰めてくる。
 上から見下ろすミロのすだれのような前髪に、視界が阻まれる。ぞくり、と強敵と対峙した時のような感覚が背筋を駆け抜けた。身体が、ざわざわする。毛穴が逆立ち、落とされる視線を漫然とみていた。
「何か、言った?」
「さっきのは……、大人のキス、じゃねーだろ」
「うん。……だけど僕は、ビスコに入れられるより、入れる方がいいかなぁ」
 ねぇ、と耳を掠め、こめかみから顎のラインに沿って細い指先が伝う。自分から仕掛けたキスよりも、ミロのそのちょっとした仕草に何倍も動揺する自分を否定できない。
 それがミロから与えられるキスへの期待だと、遅れて理解した瞬間、カァと耳が焼けるように熱くなり、その瞳を凝視することが出来なくなった。

 キスしたいのでは無い、キスされたいと渇望している自分がいる。

 ふい、と反らした視線は許されなかった。「ビスコ、こっち見て」と小さく顎先を撫でられて、それでも頑なに上を向くことが出来ないビスコに「ねえ、良い子だから」と獣を手懐けるように顎の下をくすぐってくる。
「……猫じゃねえんだぞ」
 ギロリ、と睨み付けたつもりの視線がその意図を持って成功したかどうかはビスコにはわからなかったが、「やっと、見てくれた」と嬉しそうに微笑む顔を見るにどうやら失敗に終わったようだった。
「ねえビスコ、昨日教えたことを覚えてる?」
 覚えているもなにも、全てが初めてだったからどのことを言っているのかわからず答えないでいると、「鼻で、息をするんだよ」と小さく言いながら近寄ってきたミロでビスコに落ちる影がより一層深くなった。
 両手で顔を包み込まれる。与えられる準備を始めた身体が、薄く口元を開き、ミロに誘導されるわけでもなく、唇が重なる直前にゆるく顔を斜めに傾げた。唇の、ほんの薄皮一枚だけ重ねた唇が、吐息混じりに「上手」とビスコの成長を賞賛すると、その後は息をするとかしないとか、そういうことの理解を超えた捕食行為がビスコを襲った。

 ◇  ◇  ◇

 君の唇を、また味わうことが出来るなんて、こんなにも嬉しいことは無い。
 拒絶されたと勝手に傷ついた僕をいとも簡単に否定して、あまつさえまた教えろと言った君からのキスが嬉しくなかったわけじゃ無い。戸惑うように彷徨う舌、だけど昨日よりは確実に上手になったキスが、僕はほんの少しだけ寂しかった。

 ビスコ、君は、そんなに慌てて大人にならないで欲しい。

 上手になったら、大人のキスが出来るようになったら、こんなことも出来なくなるのだろうかと勝手に想像しては傷つく僕を、君は笑うだろうか。
 唇を割って入り込もうとしたビスコの舌を、僕は食いしばることで拒絶する。いつかその舌を迎え入れることが出来た時、それはどちらか二つの意味を示すだろうとミロは予感した。
 もう、キスを教えなくて良くなった時か、あるいは……。

 ビスコの舌は、迎え入れられた歯列のすぐ先でミロの舌に絡め取られるのを待っていた。実際、そうとしか思えない。先程ミロの唇を入りたそうになぞっていた熱いそれは、触れるや否や、安堵したように綻んだ。昨晩、あんなにも硬く縮こまっていたとは思えないほど、雄弁に語る肉は、その先の快楽をまるで知っているかのようにミロから与えられる愛撫を受け入れた。尖らせた肉と肉が、子犬の様に跳ね回る。今日は上手に息をしているビスコが、時折、ん、ん、と低く堪えるように漏らすのがあまりにも扇情的で、頬を包む手に思わず力が入ってしまう。
 ビスコの腕はすでにミロの腰に回り込んでいて、抱きしめているというよりは、もはや縋っているといった方が正しかった。
 無意識にそういうことをする君が悪いんだよと、心の中で言い訳をすると、ミロの手はするすると頬から顎先へと伝い、喉仏を経由して、いつもあけすけになっている鎖骨をつつつと辿る。その太い骨、そのしなやかな筋肉。どう考えても自分より逞しい骨格が、どうしてこんなに愛おしく感じるのか。自分が与える熱に翻弄されるこの身体の、その全てを知りたいと願ってしまう躰が暴走するのを止められない。何度も合わせる唇の角度を変え、舌先に限らずその裏側も、奥も、丹念に舐ると、ついて行けないビスコが苦しげに小さく、鳴いた。それは唇を合わせている以上、くぐもった「んんっ」という音にしかならなかったが、己の背に回された手が服をぎゅっと掴んだ感触で、ビスコが明らかに何かを感じ取っていることが知れると、自分の中の雄がいとも簡単に暴れ回り始めた。

 ああ僕は、最初からビスコをこうやって鳴かせたかったのかも知れない。
 キスを教えるなんて言うのは詭弁で、最初からそうしたかった。

 自分を跳ねよけようとすればビスコはいつでも出来るはずで、だけどビスコはそうしなかった。いくらキスに不慣れだからと言って、嫌なことを嫌だと言うくらいのこと、ビスコには容易いはずだ。だからこの行為は、キスも、肌を辿る指も何もかも、きっと赦されている。
 掌に伝わる感触が湿っているのは自分の汗か、それともビスコの汗か。鎖骨を辿る指先が、くすぐるように首筋に回る。うなじをさわさわと弄り、ビスコと絡めていた舌先はその優雅なワルツから外れて、上顎を悪戯に擦った。
「んっ、んぅっ!」
 わざと性感をくすぐるような場所に差し入れて、拒絶される一歩手前ですっと引く。それを何度も繰り返している内に、飲み込む隙すら与えられない唾液が二人の喉を伝った。気付けば自分も興奮で息が上がり、酸欠になり欠けた脳がだんだんふわふわしてきた。
 緩み欠けた口づけの隙を見て、どちらともなく離れた唇は火照りを伴いジンジンと鈍く病んでいた。ようやく大きく息を吸うことを許された肺が、脳が歓喜して、ぼやりとしていた視界もクリアになる。額を合わせ、上がる息を重ね合いながら見つめたビスコの翡翠も苦しさからか、潤んでいた。普段の目つきと変わらぬ、ジロリ、と見つめてくる目が、怒ってるのか、それとも他の感情で睨み付けているのか、今のミロには判断がつかなかった。
「ビス、コ」
「今のは」
「うん、」
 唾液が喉を伝った部分に風が吹くと、そこだけやけにひやりとした。ビスコの、次に紡がれる言葉を聞くのが怖い。やり過ぎた自覚はあるだけに、「もうこんなのはしない」と言われたとて、そうだろうなと思うしか他ならなかった。こんなの、好きあった者同士がするもの以外でも何物でも無い。
 それでも止まらなかった。ビスコも途中で嫌だとは言わなかった。先程まで興奮で高鳴っていたのとは異なる嫌な心拍が、胸から飛び出しそうなほどバクバクと呻いていた。
「今のは、普通の大人のキスか?」
「えっ、あー……」
 潤んだ瞳で睨み付けたままのビスコから思いもよらない質問が来て、ミロは語彙力を失った。その質問への回答の如何によって、大きく左右されるような、そうでもないような、とにかくどう答えたら良いのか迷っていると、「こんなの、おかしい。どうかしてる」と、ふっと視線を下に向けたビスコが吐き出すように言葉を零した。
 こんなの、おかしい。
 どうかしている。
 それは自分も思っていたことで、でもそれをまざまざと言葉に表されると、なんとも胸が苦しくなった。
「そう、だよね、ごめん……僕、止まらなく、て」
「あぁ? ちげぇよ、馬鹿」
 ビスコの指先が空色の髪のひと束を摘まむと、そっと優しく耳に掛けてくる。
「こんなの、満足するまでやらねぇと、また明日思い出しちまうだろうが」
「はっ……、えっ⁉」
 それはつまるところ、ミロにはビスコなりのおねだりのようにしか聞こえなくて、短い間に同じ文言を脳内で繰り返してみたものの、出された結論は同じだった。
「もう一回、してもいいの?」
「ああ」
「もしかして、気持ち、よかった?」
「……」
 肝心なことには答えないビスコの無言が、肯定だと知っているミロはそうだと断定して、更にもう一度付け加えた。
「ねえ、明日もしていい?」
「……いいから、とっとと、しろ」
 都合の悪いことは答えないのにキスをねだるビスコに、ミロは腫れた唇を重ね、夜の心地よい風を感じていた。