'23/2/12発行「賢者オスッテBLアンソロ」に寄稿します

美しい獣

novelラハ光♂(リバ)

『その英雄は、絶命した敵に対し最後に一太刀、余分に切りつける癖がある』

 切っても、焼いても、払っても、無限に敵が湧き出てくるその洞窟は群れをなさねばならぬほどの力しか持たぬ彼らの最後の砦であった。数が多いからといって、結局は雑魚。グ・ラハと英雄の名を持つ冒険者、フィルの二人にかかれば造作のないことであるはずだった。
 突き進むフィルの刀が右へ左へと残像を残す度、血しぶきが舞う。敵はその衝撃波になぎ飛ばされて、狭い洞窟の通路の壁にたたきつけられると、時に影絵のように磔になり、時には破裂した爆弾のようにその姿さえ残らなかった。
 その残虐性とは裏腹に華麗な技を繰り出す毎、花が舞い、雪が踊り、三本の水飛沫が河を作る。刀が鞘に戻ることはなく、禍々しい光を放つ刀身を剥き出しにしたまま、少し離れた群衆に向かって飛び出していくフィルの姿を残光が追う。グ・ラハはその光の後ろを、さらに遅れてなんとかついていくのがやっとだ。
 待って、と言って待ってくれるような耳を今のフィルは持たないだろう。血の臭いが充満するこの通路で、彼が正気を保っているとは思えなかった。
 通路の端に少し開けた空間が見えた。おそらく雑魚の親玉がいるか、それとも雑魚は雑魚らしく身を寄り添うようにして群衆を形成しているか。
 遅れて到着したグ・ラハは、交戦中のフィルの背に向けて回復の術を掛ける。彼の白いはずの毛髪に付着したおびただしい量の黒々とした赤。彼のものではないと、そうであるはずだとわかっていながら、どこかに彼の流血が混じっているのではないかと背筋がひやりとする。だいじょうぶだ、この程度の敵にやられる隙などあるはずはない。
 交戦中の敵は、雑魚の親玉のようだった。足元にはおびただしい量の敵の残骸、それを踏みつけながらフィルは舞うようにステップを踏み、何度も急所を切りつけていく。大きなハンマーのような武器を振りかぶった親玉に、フィルが一度後ろへ飛びぬく。着地地点にあった残骸に後ろ足を取られ、ずるりと体勢を崩しそうになったフィルに、思わず「危ないっ!」と声を出す。だが、そんなものは杞憂であった。転ぶ寸前で身を翻した彼は近くにあった壁めがけ片足を蹴りだすように着くと、膝をバネにし勢いをつけ真っすぐに飛んでいく。ハンマーを振りかぶったはいいものの目的の敵を見失った親玉は、振り下ろした反動で姿勢を崩した。その首元をめがけて、一太刀。まるで最初からそうなるとわかっていたかのように刀は喉笛へ突き刺さり、飛び出した勢いのまま斜め上へと切り上げた。
 どたり、と親玉が倒れる。その一連の妙技はものの一瞬だったが、その一挙一動がグ・ラハの瞳に焼き付いて離れない。血まみれの、美しいオレの獣が踊っているように見えた。
 くるり、と空中で猫のように飛躍して倒れ込んだ敵の前に降り立ったフィルは、もう一度、その腹へと一太刀くれてやる。これで仕舞だ、と宣言するかのような優雅で残酷な一撃で、いつもの彼が戻ってくる……はずであった。
 何度も、何度も、狂った機械のように残骸を切りつける姿に、グ・ラハはフィルの様子がおかしいことに気づく。聞き耳を立てれば、肉塊を切りつける音の隙間にガチガチという異音が聞こえる。
「フィル、もういい、終わった、終わったから」
 敵へ攻撃を繰り出す彼へ故意に触れたことは今までなかったが、怯んではいけないと思った。彼がどういう仕組みで敵と味方を見分けているのかは彼ですらわからない謎だが、自分は大丈夫だという自信がなぜかグ・ラハにはあった。
 強い力で背中からその胸を抱く。ガチガチと鳴る音は、どうやら細かく歯を鳴らしている音のようで、振動が身体ごしに伝わって感じ取れた。
 グ・ラハはフィルが敵(だった残骸)から離れるようにその身体を後ろへ引き戻そうとした。だが、類まれなる力を持つその体幹はびくともしない。それでも、少しずつ刀が振るう速度がだんだんと遅くなって、仕舞には空を切り、止まった。
 はぁ、はぁ、と荒い息をつくフィルは、ずっと前を見続けている。不意に、カチン、という音がした。刀の切っ先を地面に突き立て、そのままジリリと引きずるようにして持ち上げたそれを、スッと鞘に戻す。
「ラハ、震えてる」
 いつもの、穏やかな恋人の声がした。背に抱きついたまま、強い力で引き戻そうとしたその力が震えに代わっていた。刀から手を離し自由になったフィルの手が、グ・ラハの手に重なる。ぬるり、とぬめる感触はおそらく血であろう。それでも、その温かな感触にグ・ラハは安心した。
「戻ってきてくれないと困る」
「うん、ごめん」
 彼は悪くない。悪くないのに謝られて、どうしようもできない自分がなんだか悔しくて、でもいつもの彼が戻ってきたことにほっとして、感情がめちゃくちゃになる。
「帰ろう」
 たった一言なのに、その語尾が震えていることをフィルは指摘しなかった。