'23/2/12発行「賢者オスッテBLアンソロ」に寄稿します

猫が拾いし猫

novelラハ光♂(リバ)

 白い猫が、白い猫を連れ帰ってきた。
「何故か、足元から離れなくって。踏みそうだから持って帰ってきた」とのたまうのは冒険者である。そんな、物みたいに持って帰ってこられても困るのになあと猫が猫を抱える様子を眺めていたら、なんだか腕の中の猫の腹が異様に膨らんでいるような気がした。
「なあ、その猫、妊娠してるんじゃ?」
「え? そうなの? なんかすごい太った猫だなあとは思っていたんだけど」
 モードゥナの仮住まい。二人で過ごすこのアパートのど真ん中に鎮座したソファーにフィルが猫を抱えたまま座り込む。すると猫はすっくと立ち上がり、さっさとフィルの膝の上から下に降りて部屋の隅の暗がりへと移動した。うずくまる姿からして、どうやらこれから出産の準備にかかろうとしているのかもしれない。
「こどもを、安全な場所で産みたかったのかな」
「ラハはなんでも知ってるね」
「百二十年余りの知識が、この頭の中に入ってるんでね」
 こんこんと、握りしめた拳で自分の頭を小突くラハにフィルは、ふ、と静かに微笑んだ。最近フィルは、僅かな変化ではあるがよく笑うようになった。静かに、声もなく、まるで泉に浮かんだ一筋の波紋のような。グ・ラハはその優しい表情を見るのが、とてもお気に入りだった。
「そんなの、僕が敵うわけないじゃない」
「いいんだよそんなの、敵おうとしなくたって」
 そう、別にこの知識をひけらかそうとか、知識が多いことが偉いとか、そういうことは微塵も思ったことはなかった。この記憶だって、自分だけど自分じゃない、水晶公と呼ばれた男からの贈り物だ。その悲しみも、苦悩も、全部全部ひっくるめてこの身体は受け取ることにした。
 水晶公は、フィルを助けるために狂いながらもその身体を第一世界に残した。
 だから自分は、この身体で水晶公の分まで愛してやらないと。
「先、風呂入ってくれば? 猫はオレが見ててやるから」
「ああ、うん。そうだね」
 ありがとう、そう言って立ち上がると通りがけに前からふわりと抱き留められる。グ・ラハのつむじに鼻を押しつけ大きく息を吸うと「ああ、ラハの匂いだ」と満足げな声が降ってきた。フィルは色んな匂いに敏感で、その日の戦闘が激しければ激しいほど、グ・ラハの匂いをこうやって欲するのだ。
 かつて冒険者に、「水晶公は人の匂いがしないね」と言われた、過去の記憶がふと蘇った。

 ソファーの上に二人、同じタオルケットに包まって、暗くなった室内に最低限の明かりを灯し、視線の先には猫がいる。
 自分より少し小柄なラハが、こてんと肩に頭を預けてきた。その触れた皮膚がふわりと熱く、どうやらラハは眠たいらしい。
「猫、大丈夫かな」
 猫だろうと人間だろうとこうして出産に立ち会うこと自体が初めてで、自分のことでもないのになんだか緊張する。命を奪うことを生業としてきた自分が、新しい命の芽吹きに立ち会うなんて。でも猫だろうと何だろうと、命はこうして静かに産み落とされるものなのかと感慨深い気持ちになる。自分も、ラハだって、昔はか弱き存在だったのだと知れる。
 返事が一向に返ってこないのでもう眠ってしまったのかと思い、支えるように腰に手を回せば、肩口に寄せた頬をぐりぐりと擦り寄せてきた。
 可愛い、本当に猫みたい。
 この小さな身体に、記憶と、知識と、馬鹿でかい決心と精神力を詰め込んで、どうして正気でいられるのか不思議でしょうがない。そんな彼が今こうして隣にいてくれることも、そして誰よりも自分を好いてくれていることも、嬉しいと思う日もあれば、怖いと思う日もある。
「にぃ! にぃ!」
「あ、産まれた」
 甲高い小さな声が室内に響き渡る。母猫がびっくりすると困るから、近づいたり声を荒げたりしないようにとラハに言われていたので、本当に囁くように呟く。するとラハも「んん……」と小さく呻いて目を覚ましたようだった。
「あー、産まれたのか、よかったな」
「うん、暗くてよく見えないけど、産まれたみたい」
「そっか……、ん、オレ、寝てた?」
「そのようだね」
 ふわぁ、とラハは大きく欠伸をすると「猫は普通多頭で産まれるから、あと何匹かは産まれるんじゃないかな」とふわふわと安定しない抑揚で言った。
「全部産まれるまで待つ?」
「んー、いや……、大丈夫だよ。オレ達が起きていようがいなかろうが、きっと無事に産まれてくるだろうし。オレは久しぶりに帰ってきたあんたと、ちゃんとベッドで寝たい」
「えっ……ああ、うん」
 ラハはそうやってストレートに要求を突きつけてくるから、フィルは咄嗟に目をそらしてしまう。
 ラハは、可愛いと格好いいが共存している。そんなのずるい。

 静かに、そっと静かに忍び足でベッドに潜り込む。
 今日は後ろからぎゅっと抱きしめて欲しいとねだる君を、腕の中に閉じ込めた。
 フィルは知らなかった。人と触れあうことがこんなにも切ないなんて。
 フィルは知らなかった。愛しい人にねだられることがこんなにも心を満たすだなんて。

 明くる朝、まだ目も開かぬ子猫が4匹。
「生まれたての猫は、皆そろいもそろって水色の瞳をしているんだぜ。……ああ、丁度あんたみたいな目の色だ」
 子猫がにぃにぃと、母猫の乳をねだって泣いている。
 ラハが笑った。だからつられて、フィルも微笑んだ。